私たちが何気なしに呼んでいる地名は、人類がその地に集団を形成し、生活の営みをはじめる段階で発生したものであり、その一つひとつが郷土の歴史をものがたっています。
従って、地名は人類歴史の証であり、貴重な文化遺産でもあります。今日複雑化した現代社会の中で、ややもすると簡素化され、文化遺産として失われつつあるとき、その地名を考え、さらに、その地の上に営まれた人間の歴史を明らかにすることは、私たちに与えられた使命でもあると考えます。
釧路町の開拓の歩みは、沿岸から内陸へと発展経過をたどり、地名は、その地形や特有の現象をもって表現され、しかも、そのほとんどがアイヌ語であります。それに、和語を当てて、現在の地名としているため、難読・難解では、本道でも類のない地名群と言われています。
私たちの郷土の地名が、「心のふるさと」、人間生活の投影、そして郷土の生活・産業・文化の遺産として、ひとりでも多くの人たちに関心と理解が深まり、郷土の発展に寄与できればと願うものであります。
郷土の地名生活文化を知る会
①
達古武
たっこぶ TAKKOBU
タプコプ
こぶのように盛り上がった小山
アイヌ語で、タプコプは、「こぶのように盛り上がった小山」のことを表わしている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
②
岩保木
いわぽっき IWAPPOKI
イワポキ
岩山の下
アイヌ語でイワは「岩山」のことで、ポキは「下」という意味。つまり、イワポキは「岩山の下」という意味になる。もとはこの岩山の下を指す地名が、山を指す地名として使われている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
③
鳥通
とりとうし TORITOUSHI
ト゚リ・トイェ・ウㇱ・イ
船を操るさおをいつも切るところ
アイヌ語で、ト゚リは「さお」、トイェは「切る」、ウㇱは「のが常である」、イは「ところ」という意味となる。これは船を操るさおをいつも切るところの意味で、ここは、風が当たらず木の伸びが良い場所と思われる
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
④
遠矢
とおや TOOYA
トー・ヤ
沼の岸
アイヌ語で、トーは「沼」、ヤは「岸」。つまり「沼の岸」のことである。かつては、ここに沼があったようである。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑤
オビラシケ
おびらしけ OBIRASHIKE
オ・ピラㇱ ケ
川尻が広がっている
アイヌ語で、オは「川尻」ピラㇱ ケは「広がる」。つまり「川尻が広がっている」という意味に解釈できる。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑥
床丹
とこたん TOKOTAN
ト゚コタン・トコタン
※意味ははっきりとは分からない
床丹(とこたん)という地名は北海道各地にあり、この地名については、2つの可能性がある。一つは、ト゚コタン。これは何かの理由で人が住まなくなった村のことを言う。もう一つは、トコタン。トは「沼や湖」、コタンは「村」のこと。つまり沼のほとりに村があったということになる。この釧路町のトコタンについては、どちらなのかまだ分かっていない。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑦
天寧
てんねる TENNERU
テイネ・ル
ぬれている道
テンネルはアイヌ語で、テイネ「ぬれている」、ル「道」。つまり“ぬれている道”を意味している。かつて、ここには湿原の中を通る道があったといわれている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑧
雪裡太
せちりぷと SETIRIPUTO
セッチㇼプト゚
雪裡川の川口
アイヌ語で、セッチㇼは「雪裡川」のこと。またセッチㇼとは、「鳥」の意味だといわれている。プト゚は「川口」。つまり、「雪裡川の川口」を意味している。この川の中流の崖に巨大な鳥が巣を作っていたという伝説がある。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑨
別保
べっぽ BEPPO
ペッポ
小さい川、小川
アイヌ語で、ペッは「川」、ポは「小さいもの」。つまり、「小さい川」「小川」という意味となる。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑩
双河辺
ふたこうべ FUTAKOUBE
フタコウベ
和名
この地名は、日本語に由来すると思われる。また、一つの説として、アイヌ語でフータツ「笹原」、コツペ「合流の小川」の意味から、「笹原の谷間から流れが合流した所」と思われる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
⑪
深山
ふかやま FUKAYAMA
フカヤマ
和名
この地名は日本語に由来すると思われ、山奥をさした地名と思われる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
⑫
又飯時
またいとき MATAITOKI
マタエトㇰ
※意味ははっきりとは分からない
釧路町に数多くある難解な地名のうち、もっともよくわからない地名だと言われている。江戸時代の文献にはマタイトキもしくはマタエトキと書かれているが、これが何を意味するのか分かっていない。この地名を分解すると、マタは「冬」、エトㇰは、「先」「前」という意味になるが、これだと意味が通らない。したがって、今のところはっきりとした解釈は出せない。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑬
地嵐別
ちあらしべつ CHIARASHIBETSU
チャラシベツ
水が岩の面をちらばって流れ落ちる川
ここはマタイトキの隣の集落で、アイヌ語のチャラルは「すべっている」「すべり降りてくる」で、小川が山の斜面を急流をなして飛沫をあげながら流れ下っている状態をさしており、シペツは「本流の水上」、チャラシセは「すべり落ちているところ」から、名付けられたものと思われる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
⑭
宿徳内
しゅくとくない SHUKUTOKUNAI
シュクト゚ッ・ウㇱ・ナイ
アサツキが生えている沢
アイヌ語で、シュクト゚ッは「エゾネギ」という山菜のことで、「アサツキ」ともいう。ウㇱは「生えている」、ナイは「沢」。つまり、「アサツキが生えている沢」を表している。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑮
嬰寄別
あっちょろべつ ATTYOROBETSU
アッ・ホロ・ペッ
オヒョウの皮を漬けておく川
アイヌ語で、アッは「植物のオヒョウニレの繊維」、ホロは「水につける」、ペッは「川」のことである。つまり、「オヒョウの皮を漬けておく川」という意味である。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑯
昆布森
こんぶもり KONBUMORI
コンプ・モイ
昆布が育っているところ
アイヌ語で、「コンブ」を意味するコンプと「海の湾」を意味するモイをあわせて昆布森となった。この地名は、「昆布が育っているところ」を意味している。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑰
チョロベツ
ちょろべつ CHOROBETSU
チョロベツ
ま鴨のおりる川
昆布森市街地を流れている川である。この地名解は、いずれにもなく、チルオロベツとすると、チルは「鳥」、オルは「内または中」、ベツは「川」となり、鳥のいる川となる。土地の人の話では、よく川上に、ま鴨が飛んでおりるというので、それが地名になったと思われる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
⑱
伏古
ふしこ FUSHIKO
フㇱコ・コタン
古い村
アイヌ語で、フㇱコは「古い」、コタンは「村」のことである。つまり「古い村」を意味している。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑲
幌内
ぽろない PORONAI
ポロナイ
大きな沢
アイヌ語で、ポロは「大きい」、ナイは「沢」のことである。つまり「大きな沢」という意味である。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
⑳
来止臥
きとうし KITOUSHI
キト・ウㇱ・イ
キトビルの群生しているところ
アイヌ語で、キトは「植物のキトビル(ギョウジャニンニク)」、ウㇱは「生えている」、イは「ところ」。つまり、「キトビルの群生しているところ」を意味する。三方を山や崖に囲まれ砂浜になっている所で、暖かい南風を受け、昆布森沿岸でも早く春が訪れる。昔から鮭の定置網が設置され、沿岸では潮流があまり強くなく良い漁場とされている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉑
十町瀬
とまちせ TOMACHISE
トマチセ
※意味ははっきと分からない
過去の記録では、「トマツセ」「トマチセ」「トマツエ」「トマチヱ」など、さまざまに書かれている。トマは、エゾエンゴサクという草の根のことである。根に小さなイモのようなものがなり、昔のアイヌ民族はこれを食べていた。
チセは、「家」のことだが、この場合、どのように解釈できるのかよく分かっていない。チエだと、「私達が食べる」という意味になる。
また、松浦武四郎の記録には「トイマチヌフ」と書かれている。これは、ト゚イマ・チ・ヌ・ㇷ゚というアイヌ語を書いているようだが、「遠くに私たちが聞くもの」という意味である。松浦武四郎は、遠くにトドの声が聞こえると「東蝦夷日誌」に書いており、この辺にはトド岩という岩がある。
1968年には、およそ3800万年前に生きていた哺乳類「クシロムカシバク」の化石が発見されている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉒
浦雲泊
ぽんとまり PONTOMARI
ポントマリ
舟がかりができる小さな入江
アイヌ語で、ポンは「小さい」、トマリは「停泊する港」のことである。つまり、「舟がかりができる小さな入江」をさしている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉓
跡永賀
あとえか ATOEKA
アト゚イ・カ
海の上
アト゚イ・オカ
昔は海であったところ
この地名については二つの説がある。まず一つは、アト゚イ・カと分析できる。アト゚イとは「海」、カは、「上」という意味である。跡永賀は海の間際にある集落で、切り立った渓谷を海に向かって降りたところにある。この地名はもしかしたら、今、集落があるところではなく、今の集落を見下ろす丘の上のことを指していたのかもしれない。松浦武四郎の「武四郎廻浦日記」ではアトエカを訪れた時は、2軒のアイヌの家があると書いている。もう一つには、この地名の元の音は、アト゚ヨカ、分解するとアト゚イ・オカだという説も古くからある。アト゚イが「海」を意味し、オカが「あと」を意味する言葉である。つまり、昔は海であったところという意味になる。長い間に砂が堆積して、陸地が広がったことによる地名であると言われている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉔
冬窓床
ぶいま BUIMA
プイ・オマ・イ
穴そこにあるところ
プイ・オマ・モイ
穴のある入り江
冬窓床は、プヨマイという音だったようである。アイヌ語で、プイは「穴」、オマは「そこにある」、イは「ところ」という意味になる。ここにかつて、穴の開いた大岩があったようである。また、プヨモイという地名も記録されている。プイは「穴」、オマは「そこにある」、モイは「入り江」のことである。つまり、「穴のある入り江」という意味になる。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉕
初無敵
そんてき SONTEKI
ソ・ウン・ト゚ㇰ
滝がある小山
この地名の意味は、はっきり分かっていない。江戸時代の文献には「ソントキ」「ソンテキ」「ソンデキ」「ションテキ」と書かれている。もしかしたら、ソ・ウン・ト゚ㇰ「滝・がある・岬」と分解できるかもしれない。ソとは、「滝」という意味で、実際、このあたりに滝があったという記録がある。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉖
汐見
しおみ SHIOMI
シオミ
和名
この地名は昭和15年頃の戦時中に部落会が設置され、各地の地名改正をきっかけに和名としたのが始まりである。大字跡永賀村は双見地区、ニコマナイからワカチャラセまでを汐見地区、オタモイ・老者舞を大磯地区、知方学から別尺泊までを美崎地区、オタクパウシを駒野地区としたが、当時の名称を残しているのはここと駒野だけであろう。今では海産干場の侵蝕により、作業場、住宅共それぞれ崖上に移転されている。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㉗
入境学
にこまない NIKOMANAI
ニオケ・オマ・ナイ
木の桶のある沢
アイヌ語で、ニオケは「木の桶」、オマは「ある」、ナイは「沢」のことである。ここに昔、桶があったという話が伝わっている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉘
賤夫向
せきねっぷ SEKINEPPU
チェㇷ゚・ヌンケ・ㇷ゚
魚を選ぶところ
この地名は、過去の文献に書かれている解釈もあるが、はっきりとした解釈は出ていない。江戸時代の記録では、「セフヌンケ」「セツフヌケツフ」などと書かれていることから、チェㇷ゚・ヌンケ・ㇷ゚と解釈ができるかもしれない。チェㇷ゚は「魚」、ヌンケは「選ぶ」、ㇷ゚は「ところ」のことである。ただし、これについてはまだ解明されていないのでひとつの解釈である。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉙
分遺瀬
わかちゃらせ WAKACHARASE
ワッカチャラセ
水が滝となって落ちるところ
アイヌ語で、ワッカは「水」、チャㇻセは「すべり落ちる」という意味である。小川が山の斜面を、急流をなして、飛沫をなして、すべり落ちる様子を表している。そこから「水が滝となって落ちるところ」という意味である。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉚
龍神口
りゅうじんこう RYUUJINKOU
リュウジンコウ
和名
これは和名で、ワカチャㇻセからオタモイまでの間の岩礁や岩場の所である。陸路がなく干潮時でなければ渡れない。海中には奇岩がそそり立ち、蛇神の口に似ている。明治37年~38年の日露戦争時の戦場旅順港に似ているところから別名旅順口と呼ばれているが、あまり根拠がない。明治7年に生まれたという古老の話によると若い時から龍神口と呼ばれていたという。なお、断崖の草原に蛇が住みついており、蛇塚となっているとも伝えられている。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㉛
円山
まるやま MARUYAMA
マルヤマ
和名
これは和名で、高さ205mの小さな山を指している。この山は、釧路町で標高が一番高く、別名、高山とも呼ばれている。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉜
オタモイ
おたもい OTAMOI
オタモイ
波静かな砂浜の浦(砂地の湾)
オタは「砂浜」、モイは「浦・入海」で、岬の陰になっていて、波静かな砂浜の浦と解する。ここは寄昆布の多い所で、昔は拾い昆布を主とした漁家が1、2戸住んでいたが今はない。沃度工場の盛んな時、ここで産出される昆布灰は、かなりあったという。また、この土地は深い沢となっており鹿の群れや、狐の巣穴を見ることができる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㉝
老者舞
おしゃまっぷ OSHAMAPPU
オ・シュマ・オマ・ㇷ゚
川尻・石・そこにある・ところ
オ・イチャン・オマ・ㇷ゚
川尻・産卵床・そこにある・ところ
この地名は、オ・シュマ・オマ・ㇷ゚と解釈できる。オは「川尻」、シュマは「石」、オマは「そこにある」、ㇷ゚は「ところ」を意味する。ただ、古い記録には、「ヲエシヤチマエ」「ヲエチヤンマフ」「オエサマㇷ゚」とも書かれており、違う解釈が可能かもしれない。また、オ・イチャン・オマ・ㇷ゚と解釈できるかもしれない。オは「川尻」、イチャンは「産卵床」、オマは「そこにある」、ㇷ゚は「ところ」である。イチャンとは、サケやマスなどが卵を産む場所のことを表わす。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉞
知方学
ちぽまない CHIPOMANAI
チェㇷ゚・オマ・ナイ
魚が集まる沢
アイヌ語で、チェㇷ゚は「魚」、オマは「いる」、ナイは「沢」を表わすことから、「魚が集まる沢」という意味となる。記録によると、チカ、コマイ、サケなどの魚が集まっていたようである。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㉟
去来牛
さるきうし SARUKIUSHI
サㇽキ・ウㇱ・イ
ヨシが群生しているところ
この地名を分解すると、サㇽキ・ウㇱ・イ、となる。アイヌ語で、サㇽキは植物の「ヨシ」、ウㇱは「生えている」、イは、「ところ」を表わすことから、「ヨシが群生しているところ」という意味である。昔のアイヌ民族の家はこのヨシで葺いていた。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㊱
尻羽岬
しれぱみさき SHIREPAMISAKI
シㇼ・パ
岬
アイヌ語でシㇼパは岬の意味で、分解するとシㇼは大地、パは頭となる。ここにある帆掛岩には、日高から船で逃げてきた源義経が、沖合で猛吹雪に会い、座礁し船は岩となり、義経は崖を登り石像となったというおもしろい言い伝えがある。又、帆掛岩には明治後期に誰が建てたか不明であるが鳥居が建てられ、その後朽ち落ちたが、1978年に陸上自衛隊第27普通科連隊重迫中隊の協力で再建され、現在は三代目の鳥居。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㊲
別尺泊
べっしゃくとまり BESSHAKUTOMARI
ベッシャクトマリ
陸岸の突出している舟がかりの入江
尻羽岬から厚岸湾沿いに北上すると別尺泊である。現在の地形からは容易に判断できないが、ベッチャクトマリとして解釈すると、ベンチャは「川端・川岸」、ツクは「突出る」、トマリは「船がかりの澗・船がかりのできる入江」となり、表記のように解いた。
古文書に時化 ※1 の時、別尺泊でさけたという記録があり、港の役割を果たしたものと思われる。
この外に地名として残っているのは、チノミ(祭場)とあるが、別尺泊から横山コタンまでの裏山には深い谷が多く、熊笹生い茂りて人跡なしとあるので、昔は熊狩りをして祭場としたところであろう。
別尺泊は、昔はかなりの漁期番屋があったが、打ち続く海岸浸食や不漁により今は、その面影はない。
※1 時化(しけ):海が荒れること (出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊳
ポンタラウシ
ぽんたらうし PONTARAUSHI
ポンタラウㇱ
海中に小岩がたくさんある所
別尺泊からさらに仙鳳趾に向かって海岸を行くとここに着く。ここは炭山ともいうが、ポン「小さい」ワタラ「海中の岩」ウㇱ「たくさんある所」から取った。崖の中には炭層が露出していて、昔、外国船が荒天の時、避難停泊の際、ボートで飲料水を探しに上陸し、これを発見し燃料にしたともいわれている。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊴
ヨコヤマ・コタン
よこやま・こたん YOKOYAMA・KOTAN
ヨコヤマ・コタン
狩場の村
この地名は、蝦夷語地名解、アイヌ語地名解にもなく、和語と混り、横山という人が住んでいた村か、背後の山が横になっている村を指したものかもしれない。アイヌ語で綴ってみると、ヨコは「弓や槍をもって獲物の出てくるのを待ちかまえる」、ヤマは「和語の山と同義」、コタンは「村・部落」となり、これを取った。
この理由の一つとして、裏山には昔、熊・鹿・キツネなどがかなりおり、海岸にはアザラシが多かったので、狩場にふさわしかったと思う。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊵
古番屋
ふるばんや FURUBANYA
フルバンヤ
和名
この地名は、日本語に由来すると思われる。一つのアイヌ語の説として、フルは「丘」、パンは「川下の」、ヤ「陸・陸岸」となり、「川下の陸岸が丘になっている所」という意味と思われる。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊶
仙鳳趾
せんぽうし SENPOUSHI
チェッポ・オッ・イ
小魚がたくさんいるところ
この地名はもともとチェッポオチだったようである。分解すると、チェッポは「小魚」、オッは「いる」、イは「ところ」。つまり、「小魚がたくさんいるところ」を意味している。この小魚は、昔からこの辺りでよく獲れたニシンのようである。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㊷
別太
べつぶと BETSUBUTO
ベップト
川口
地名には、ポンベップト(小さな川口)とベップト(川口)の二つがある。これらは、いずれも現在の仙鳳趾市街である。このほか蝦夷地名解によると、シシャム・オマイ(シシャム魚居ル處「シシャム」は魚名「チカ」に似タル小魚ナリ)ポンピラ(小さい崩崖)などがある。
ペップトの川の上流約3㎞に炭山があった。明治中期に大阪炭鉱が採炭し、馬で古番屋まで運び、そこから艀 ※1 に積荷をしたという。この炭鉱、10数年で閉山し、今はその跡形もない。
※1 艀(はしけ):本船と波止場との間を往来する小船 (出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊸
便内
びんない BINNAI
ビンナイ
細い深い谷川
今は、仙鳳趾から便内に行くには、海岸が侵食されているため尾幌を回っていくより道はないが、昔は海岸の道を馬で厚岸まで往来したと記録されている。この海岸沿いにあったと思われる地名としては、重蘭窮(チプランケウシ:船を下す所、山中にて船を作りここに船を下す所)、ユクエランウシ(鹿の下りてくる所)クカシケチクシ(山路の近道)、チャチャコタン(大昔から住み親しんできた村)、キラウセコタン(逃げ出したる村)など多くあるが、現在では地形も変化し、どこをさしているのか不明である。
この中で、キラウセコタン(逃げ出したる村)というのがあるが、古文書によると寛政11年(1799年)に天然痘が流行したため幕府は、医師を巡回させ治療に当たらせたという。
(出典:時空旅行~地名の散歩道~)
㊹
オタクパウシ
おたくぱうし OTAKUPAUSHI
オ・タックパ・ウㇱ・イ
川尻にヤチボウズが生えているところ
もとの音はオタクッパウシで、分解するとオ・タクッパ・ウㇱ・イとなる。アイヌ語で、オは「河口」もしくは「川尻」、タクッパは「ヤチボウズ」、ウㇱ)は「生えている」、イは「ところ」という意味になる。つまり、「川尻にヤチボウズが生えているところ」を表している。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)
㊺
重蘭窮
ちぷらんけうし CHIPURANKEUSHI
チㇷ゚・ランケ・ウㇱ・イ
山で舟を作ってここで下ろした
アイヌ語で、チㇷ゚は「舟」、ランケは「下ろす」、ウㇱは「常である」、イは「ところ」となる。つまり、「山で舟を作って、ここで下ろした」という意味になる。
(出典:釧路町難解地名映像コンテンツ「体感!謎解き!ふるさと地名の旅」)