時空旅行

~地名の散歩道~

釧路町の難読地名

地名で楽しむ時空旅行

 私たちが何気なしに呼んでいる地名は、人類がその地に集団を形成し、生活の営みをはじめる段階で発生したものであり、その一つひとつが郷土の歴史をものがたっています。

 従って、地名は人類歴史の証しであり、貴重な文化遺産でもあります。今日複雑化した現代社会の中で、ややもすると簡素化され、文化遺産として失われつつあるとき、その地名を考え、さらに、その地の上に営まれた人間の歴史を明らかにすることは、私たちに与えられた使命でもあると考えます。

 釧路町の開拓の歩みは、沿岸から内陸へと発展経過をたどり、地名は、その地形や特有の現象をもって表現され、しかも、そのほとんどがアイヌ語であります。それに、和語を当てて、現在の地名としているため、難読・難解では、本道でも類のない地名群と言われて言います。

 私たち郷土の地名が、「心のふるさと」、人間生活の投影、そして郷土の生活・産業・文化の遺産として、ひとりでも多くの人たちに関心と理解が深まり、郷土の発展に寄与できればと願うものであります。

郷土の地名生活文化を知る会

⑪深山 ⑪深山
  1. 達古武
  2. 岩保木
  3. 鳥通
  4. 遠矢
  5. オビラシケ
  6. 床丹
  7. 天寧
  8. 雪裡太
  9. 別保
  10. 双河辺
  11. 深山
  12. 又飯時
  13. 地嵐別
  14. 宿徳内
  15. 嬰寄別
  16. 昆布森
  17. チョロベツ
  18. 伏古
  19. 幌内
  20. 来止臥
  21. 十町瀬
  22. 浦雲泊
  23. 跡永賀
  24. 冬窓床
  25. 初無敵
  26. 汐見
  27. 入境学
  28. 賤夫向
  29. 分遺瀬
  30. 龍神口
  31. 円山
  32. オタモイ
  33. 老者舞
  34. 知方学
  35. 去来牛
  36. 尻羽岬
  37. 別尺泊
  38. ポンタラウシ
  39. ヨコヤマ・コタン
  40. 古番屋
  41. 仙鳳趾
  42. 別太
  43. 便内
  44. オタクパウシ
郷土の昔ばなし 遠矢のチャシとタンチョウヅル  昔々、遠矢付近に、平和な釧路アイヌの村がありました。そこの村長の名は、キラウコロエカシといい、今の龍谷寺の裏にあるチャシ(砦)に住んでいました。  ここには、一つがいの鶴が飼われておりました。鶴は餌を求めて朝飛び立ち、夕方になると戻ってくるという村人達に親しまれて暮らしおりました。  鶴も子を増し、キラウコロエカシの孫が村長になった頃には、たくさんの鶴が繁殖するようになっていました。  そんなある日、千島アイヌだといわれるクルムセが根室厚岸軍を破り、釧路領内にまで侵入してきました。  時の村長カネキラウコロエカシは、釧路連合軍を率いて防戦し、戦は勝ったかのようにみえたが、釧路軍の不平分子を買収していたクルムセは、不意に間道から遠矢のチャシに攻めこんだのです。老人、女、子だけが残っていた遠矢チャシは、たちまちクルムセ軍に占領されてしまいました。占領したクルムセ軍は、いつものように夕方になると戻ってきた鶴を射殺し、夕食のごちそうにしてしまいました。  遠矢チャシの異変を知らされた釧路軍は、ただちに一隊をさしむけ、クルムセ勢を倒し、遠矢チャシを奪い返しましたが、鶴たちは二度とこの村へは帰ってきませんでした。  今、釧路湿原にいる鶴は、この時、帰ってこなかった鶴の子孫だということです。 (佐藤直太郎、釧路地方の伝説より) 鯨退治のウポポ  大昔、クシュルペツが河ではなく海であった頃、トホヤに鯨がより上ったことがありました。トホヤのエカシは、大声で隣村のペッポコタンの親類に、フンペヤンナア、ウタリ、エツ、マンナアと呼びました。  その時ペッポのエカシ(長老)は、小舟四、五艘に家族を乗せ、勇ましくこいで行きました。その時みんなで調子を合わせて歌ったのが、  トヲヤア フンペヤアニ(遠矢の浜に鯨があがる)  セカン ニシーコートリ(紫色の雲がたなびくよ)  ハッホウ フィヤホー(はーほー ほいやほー) だそうです。(大正12年から始まった釧路川切替工事の時、岩保木水門付近で、鯨の骨が出たということです。) (釧路村史より) 帆掛岩  兄、源頼朝に追われた義経は、日高から船で北へ向かって逃げておりましたが、折悪く尻羽岬の沖合で猛吹雪に会い、船は座礁してしまいました。  義経は、崖によじ登り石像と化してしまい、この石像をカムイさまと呼んでおりました。  また、座礁した船は凍結して岩となり、これが帆掛岩になったということです。  この帆掛岩の近くには、弁慶の足跡と呼ばれるおおきな穴もありますが、残念ながら今では、波の合間に見え隠れし、めったに見ることができないということです。  なお、石像と化した義経像は、十勝沖地震の時、頭部が落ちてしまい、今となっては、その面影を見ることができません。 (佐藤清八 昆布森沿岸地名考より)
あとがき  釧路町の地名は、アイヌ語から転じたものがほとんどで、その由来を知れば知るほど、当時住んでいた人々の生活、風俗などが目にうかんできます。  地名が昔と今をむすぶキーワードとなって、一瞬のうちに時代をタイムスリップさせてくれます。  今回は、なかなか読み慣れないユニークな地名の多い昆布森沿岸を主体にとりまとめましたが、今後は内陸部の地名についても研鑽を進めたいと考えています。  なお、この書をまとめるに当たり、佐藤清八氏に監修していただけたことは、私達、郷土の地名生活文化を知る会として、誠に心強い限りであり、この紙面を借りて厚くお礼申し上げます。 郷土の地名生活文化を知る会